2024.04.20

加藤シゲアキ×小川哲×今村翔吾が語る…「今小説家にできること」能登半島地震復興応援企画始動!

最注目の三人の小説家が集結

大きな災害に見舞われたとき、小説にできることはそう多くはない。

けれど、いつか立ち上がる日が来たときに心を支え、寄り添うことはできるかもしれない。

加藤シゲアキ、小川哲、今村翔吾の三人の小説家が能登半島地震を目の当たりにして考えたこと、そして語り合ったこと。「いつか」を見据える三人による小説企画、始動。小説現代5・6月合併号より特別配信。

加藤シゲアキ[撮影:羽田 誠]
小川哲[撮影:森 清]
今村翔吾

それぞれの1月1日

──まず、令和六年能登半島地震が起きたときにみなさんはどちらにいらっしゃいましたか?

加藤 例年は年越しカウントダウンライブがあるのですが、様々なことを鑑みて昨年はライブが開催されませんでした。それで、年末スケジュールが空いたので、インドに滞在していたんですよ。年が明けて少ししたら、ファンの方に何か前向きになれるような挨拶をInstagramでしたいな、と考えているところでした。

そうしたら能登で大きな地震が起きたという速報が入ってきて。電波がそれほどよくない場所にいたのですが、スマホに表示されるニュースには津波の恐れもあると書いてあり、大変なことが起きたぞ、と思わされました。さらには翌日、羽田空港での大地震に関連した痛ましい事故も続報されて。手に入る情報が断片的なこととインドにいたことで、考えることは自然と宗教的な方向になっていました。生きること。祈りについて。そして、意味と無意味。

今村 僕は仕事のルールがあるんですよ。十二月三十一日の二十三時半をその年の仕事納め、一月一日の零時半を仕事始めとしています。この間の一時間はちゃんと休むというルーティンがあんのよね。

加藤 すごいですね。

 

今村 いや、あなたはカウントダウンライブをやっていたんだから、これまでは僕が仕事納めしていた時間に働いていたんですよ?

加藤 そういえばそうか。

小川 二人ともよく働きますね。

今村 それで、仕事始めの後の初詣のときに揺れを感じました。というか、僕は運転中だったから意外と気付かんかった。周りがざわざわして、「揺れてない?」と頻りに言っていたから気付けたのかもしれません。

小川 今村さんは滋賀在住ですが、揺れたのですね。僕は東京にいました。地震速報が流れ、そこからテレビが全部震災報道に替わっていったので本当に驚きました。

加藤 今は、大地震が起きたばかりですから被災地の皆さんは生活を再建することが最優先です。この段階では、小説には何もできないかもしれません。でも、いつか物語が必要になる瞬間が来ると思うのです。そのときに傷ついている人たちにそっと寄り添ったりできる力が物語にはあると思っていて。年明けからずっと「自分になにができるだろう」と考えていました。

今村 シゲさんの直木賞選考会の待ち会に顔を出したら「能登半島地震の被災者の方のために何かいっしょにやりませんか」と声をかけてくれましたね。自分の選考がされている中、この人は誰かのためにできることを考えているのか、と感動しました。

加藤 その日は残念ながら受賞できませんでしたが、小川さんも後から慰めに来てくれて、今村さんと一緒に今回の企画に誘いました。

小川 企画に参加するのはもちろん光栄なことなのですが、僕は今村さんみたいな「行動力おばけ」じゃないので企画を主導する側になるのは今も少しだけ気が引けてしまいます。これまでの震災で積極的に何かできたわけではないですし。

今村 いやいやそんなに変わりませんよ。ここにいる三人はみんな三十代後半です。この年齢になるまでにも大きな災害を目にしてきました。シゲさんは阪神・淡路大震災のときは大阪にいたんじゃないの?

加藤 そうです。小学校一年生でしたが、本当に大変でした。担任ではないけれど、学校の先生が亡くなりました。身近な人が亡くなる経験は初めてでしたが、まだ子どもだからふわふわしていたかもしれません。所属事務所はチャリティーを積極的に行ってきたのですが、阪神・淡路大震災のときにJ‐FRIENDSというグループが結成されました。被災時に小学一年生だった子たちが義務教育を終えるまで活動を続けていたんです。

つまり、僕が中学校を卒業するまで、J‐FRIENDSは活動していたんですよ。結成したばかりのときはあまり実感がなかったのですが、小学校六年生のときに事務所に入って、あのとき僕のために歌ってくれていたのだ、と気づいたのです。そのときに、チャリティーはすごいな、と漠然と感じました。J‐FRIENDSの歌は知っていたし、活動も知っていました。チャリティーで励まされた経験は原体験としてあるかもしれません。

小川 東日本大震災のときは、加藤さんはすでにグループデビューもされていたと思いますが、当時はどうでしたか?

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