2024.04.18
日本人は、じつは「競争」について「大きな勘違い」をしているかもしれない
「競争」がもつ「二つの顔」近年、「競争」という言葉は、悲惨で、過酷で、しんどいといったイメージのもとで語られがちだ。
しかし、競争をそうしたものとしてのみ捉えるのは、「競争」というものがもつポテンシャルを切り捨ててしまうところがあるのではないか——。
このほど『今を生きる思想 ジョン・ロールズ』を上梓した学習院大学教授の玉手慎太郎さんが、政治哲学から見た「競争」について語る。
「競争はしんどい」、しかし…
——この20〜30年ほど、日本の「競争社会」の負の側面が注目を集め、「競争は格差を拡大するのでよくない」「競争はしんどい」といったイメージが広がっています。ただ一方で、「いっそのこと競争はなくしたほうがいい」と言い切れるかというと、それもまた疑問に思う人が多いでしょう。
玉手さんの専門である政治哲学や倫理学の知見からは「競争」はどのようにとらえられるのでしょうか。
玉手 政治哲学や倫理学のすべてを代表するわけにはいかないのですが、今回『今を生きる思想 ジョン・ロールズ』を書いて考えたことをもとにお答えします。
まず、「競争」といってもひとつではなく、そこには二種類あるのではないかと、私は考えています。私なりの言い方になりますが、競争には「弱肉強食的な競争」と「切磋琢磨的な競争」があると思います。
「弱肉強食的な競争」は、勝者が多くを獲得し、敗者は多くを失ってしまう、そういうタイプの競争です。
たとえば、就職活動を想像してもらうといいかもしれません。就職できる「イスの数」は限られていて、そのイスをみんなで奪い合うという構図です。基本的には、勝者と敗者がキッパリと分かれ、勝者が望むものを手に入れると、敗者はそれを手に入れられない。べつの言葉でいえば「ゼロサム」の競争です。