なぜこれほど国葬不支持が多いのか、悲観的な視点│国葬と“将軍的欲望”を考える【政治思想史・片山杜秀】
「国葬を考える」(3)第3回は慶應義塾大学法学部教授の片山杜秀氏(政治思想史)だ。
第1回 【国際政治学・三牧聖子】安倍外交の「レガシー」再考──「誰に」「何を」残したか?
第2回 【政治学・白井聡】「日本史上の汚点」安倍政権の内政を検証する
「天皇よりも偉い」権力
“将軍的欲望”などと、おかしな言葉を持ちだしますが、これは私の造語です。天皇という装置が権威を独占する国家体制において、権力が権威を浸蝕し、あわよくば占有しようとする、欲望の形態。これを“将軍的欲望”と呼びたいと思います。古代以来、裏に回ることもあれば、表に出てくることもある。天皇に抑圧されていることも多い。この“将軍的欲望”がどれだけ抑止されているかいないかで、日本の歴史を見ることができる。そんな図式です。
“将軍的欲望”の将軍とは、近代陸軍の将軍ではなく、征夷大将軍を想定しているわけですけれども、王朝時代の藤原氏の摂政でも、同じく法皇や上皇でも将軍に代入できます。近代以降でも内閣総理大臣や元老や、それを担ぐ権力機構が“将軍的欲望”に駆り立てることはあるでしょう。
極めて概念的な話なのですが、場合によっては実際的に考えてもおかしくありません。たとえば徳川家康です。徳川光圀の生んだ水戸学だと家康を尊皇家に仕立ててしまいますが、実際の家康は“将軍的欲望”のラディカルな体現者とみなすことができる。死して東照大権現になるわけですけれども、大権現というのは、天台宗系の神仏習合思想である山王一実神道の思想から言えば、天皇よりも偉いんですね。偉さは実力を伴ってこそという考え方が山王一実神道にはあって、あの世もこの世も実力で支配するのが大権現ということですから。
神道では一般に高天原を統べる天照大神が偉い。でもさすがの天照大神もこの世の統治者とは言えない。天照大神の子孫の天皇も実力によって現実を支配しているわけではない。実力によって現実を支配しているのは江戸幕府である。その初代将軍である徳川家康が大権現として久能山とか日光とかに奉られるということになると、天皇や神々よりも徳川将軍のほうが偉いということをはっきり打ち出しているとも考えられる。
こういう、古代の藤原氏以来の“将軍的欲望”を如何に引っ込ませるか。明治維新が考えたことです。何しろ王政復古ですから。権威も権力も天皇に集めるというのが明治国家の表向きのデザインです。ただし実際は天皇を輔弼する者が力を持つのですが、政府、議会、軍と、タテ割りをきつくすることで、天皇大権を脅かすほどの将軍的権力者を天皇の下に育てぬようにする。権威の方は現人神として天皇が独占する。これが戦後民主主義の時代になると一応変わります。現人神から象徴になる。象徴はやはり一種の権威ではありますまいか。
ここで誤解のないように付け加えると、無政府主義者が理想として夢見るような政治形態を除けば、国家の統治は権威と権力の両方なくして成り立ちません。ゆえに戦後民主主義的な統治でも権威と権力は両方なくてはうまくない。しかし権威をミニマムにすることはできるはずだ。それが戦後民主主義的理想でありましょう。しかし、やはり昭和天皇だと戦後も、ありがたいとか、反発を感じてパチンコで撃ちに行く人が出るとか、いろんなことがありました。それはつまり伝統的でもありカリスマ的でもある権威が昭和天皇には戦後も濃厚にあったということでしょう。昭和天皇は1945年まで現人神ですからいくら「人間宣言」をしても普通の人だとはなかなか思われません。当たり前です。
そこが本当に変わるのは次代の平成を待たねばならなかったでしょう。今の上皇・上皇后ご夫妻は、戦後民主主義というものを共和制にまで進めないで立憲君主制的と言いますか、イギリス型で落ち着かせるための最適な振る舞い方を皇太子時代から周到に考えてこられたのだろうと、私は思っています。宗教的・伝統的権威、あるいはカリスマ的なものを感じさせるものを最低限のところまで退けていく方向で、戦後民主主義と天皇の関係を追求したのではないでしょうか。