深夜に文書の検索を命じられ……歴史の裏に隠れた実務官人の生活

平安京のある下級官人の記録
歴史の表舞台で活躍した貴族の裏には、太政官の実務部門である「官底」に詰めて、資料を黙々と作る実務官人たちの姿があった――。深夜に寒くて暗い外記局の官底で、膨大な書物を検索していた下級官人は、一体何を思っていたのか?
「平和で優雅な時代」の苛酷な日常を描き出した最新刊『平安京の下級官人』の著者・倉本一宏氏が、特別に書き下ろしたオリジナルエッセイを公開します!

古記録だけに基づいた叙述

永年の念願であった『平安京の下級官人』という本を、やっと書き上げた。平安京に生きた「下衆(げす)(下司)」と呼ばれた下級官人や、さらにその下部で下級官人に従属している階層の人びと、さらには「下人(げにん)」と呼ばれた庶民について、貴族や皇族、天皇によって記された古記録(こきろく)だけを使って、その真の姿を明らかにしたいと、随分前から願っていたのである。

今回、9世紀末の『宇多天皇御記(うだてんのうぎょき)』から11世紀中葉の『春記(しゅんき)』まで、すべての古記録の全部の記事を読み込んで、下級官人と庶民に関する記述を抜き出し、この本を著わしてみた。

残念ながら、特に庶民に関する記事はきわめて少なかったのであるが、それでもこれまでの類書とは異なり、下級官人と庶民に関して、信頼できる史料だけに基づく叙述を行なうことができたものと確信している。

この本では、まずは摂関期の平安京の実態について説明したうえで、「下級官人の仕事」として人事.政務.儀式.懈怠.糺弾、「生活のあれこれ」として闘乱.打擲.殺害.盗人.闖入.愁訴.生死、「恐怖の対象」として疫病.火災.風雨と洪水.炎旱.地震.事故.触穢.怪異、「平安京の人々」として諸芸.職人.遊興.宗教.男女の実態を、それぞれ明らかにしている。

平安京には、多種多様な職種や身分の下級官人が生活していたが、六位の位階を持つ官人を下級官人(身分としては侍品(さむらいぼん))と称する。五位以上の貴族と六位以下の下級官人、ましてや無位の人びととは、身分的に大きな格差が存在した。

太政官の実務官人たち

私が古記録を読んでいて、いつも感心するのは、公卿(くぎょう)から先例や法令の勘申(かんじん)を命じられる外記(げき)や史(し)など太政官(だいじょうかん)の実務官人たちである。

平安京の外記庁の場所

彼らは「官底(かんてい)」と呼ばれた、太政官弁官局(だいじょうかんべんかんきょく)内にある実務部門である。特に文書(もんじょ)や記録を書写・保管し、これを検索して先例勘申や審理、証人尋問などの文書事務を行なった。まさに官僚組織下部の歯車であったと言えよう。

検索とはいっても、巻物の形で保管されている文書を一々開いて探してはまた巻き直し、次の巻物を開くのであるから、膨大な作業量と時間を必要とした。その長い時間、公卿たちは陣座(じんのざ)のあたりを「徘徊(はいかい)」したり、「清談(せいだん)」したりして、書類が揃うのを待っていたのである。

「官底」の「底」は、漢籍(かんせき)にいう草稿・案文(あんもん)(下書き)の意で、文書案の書写・保管・利用を担当する部局の通称に用いられたのであるが、古記録を読んでいると、文字どおり公卿を頂点とする官人社会の底辺といった雰囲気もしてくる。

実務官人の多くは、同じ官に長年たずさわってきたベテランであるのに対して、公卿の方はしばしば若年の摂関家の御曹司であることもあった。官底に詰めて、資料を黙々と作る実務官人たち、そして公卿たちの突然の命を緊張して待っている実務官人たちの日常生活がいかなるものであったか。

しかも彼らは官人社会に登場して以来、死ぬまで官底に詰めることになる。彼らの子供もまた、うまくいっても父と同じ官底の官人に任じられるのが関の山であった。しかし何百年にもわたる平和な時代を我々の国に残してくれたのもまた、このような人たちだったのである。

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