幕末維新史を変えかねなかった、「鯨海酔侯」山内容堂の隠された生涯

ありえたもう一つの幕末維新史
日本史上有数の激動期であった幕末期において、重要な役割を実際にはたし、その後の行く末を決定した人々の陰には、政局を自分の思い通りにできる立場に何度もたちながら、そのチャンスを逃し続けた、知られざる「いと面白き」人物がいた――。
幕末維新史の知られざるキーパーソン、土佐藩の名君・山内容堂に焦点を当てながら、歴史の転換点の実相を描き出した最新刊『酔鯨 山内容堂の軌跡 土佐から見た幕末史』から、「はじめに」の全文を特別公開します!

時代を動かしかねなかった人物

第15代土佐藩主山内豊信(1827〜72。本書では、以下退隠後の雅号である容堂を用いる)は、幕末維新政治史上に登場した特異な封建支配者である。むろん、人によって評価は異なるが、孝明天皇・岩倉具視・徳川慶喜・西郷隆盛・大久保利通・高杉晋作といった最重要クラスに準ずる人物の一人であったと位置づけてよかろう。

ただし、それは、幕末史上で重要な役割を実際にはたし、大きな足跡を残したということではなく、大きく時代を動かしかねなかった人物だったという意味においてである。

つまり、当該期にあって、容堂は、政局を自分の思う方向に導ける立場に何度もたった。だが、容堂を生涯にわたって苦しめつづけた体調不良に加え、ごく普通人の眼から見れば、なんとも理解しがたい、その独特のありようによって、みすみす自分に与えられたチャンスを逃すことが再三におよんだ。

もし容堂が健康に恵まれ、かつ粘り強く物事に取り組む真摯な姿勢を一貫して保持しえていたら、幕末維新史は、われわれの知るそれとは、大きく異なるものとなった可能性がある。

すなわち、強烈な尊王(皇)精神の持ち主ではあったものの、冷静に天皇のありようを眺められた容堂ならば、天皇は国家の最高機関であるとする天皇機関説や象徴天皇制に近い考えを、新しく成立した国家のもとで提唱しえた可能性がかなりあったように思える。

また早い段階で対外交易からあがる収益に注目した容堂ならば、強兵よりも富国に重点を置く近代(立憲)国家の建設を模索した可能性も、これまた大いにあったと考える。とにもかくにも、容堂は、日本史上有数の激動期であったぶん、さまざまな、その後のコースを選択しえた可能性があった幕末期にあって、真に興味深い存在である。

幕末維新史研究からひとり取り残される

しかし、そうした容堂の存在は、これまで幕末維新政治史上で正当に評価され位置づけられてきたかといえば、そうではない。そして、これには長年にわたって幕末維新史研究が幕府対薩長両藩の対立を軸に振り返られてきたことが大きく関わった。

薩長両藩のことを研究しておけば、王政復古にいたる政治過程は解明しうるとされたなか、土佐藩の容堂などは顧慮する必要がない存在だと考えられたのである。それに、人気者の範疇にとうてい入らないことが重なって、これまで本格的に研究されたことは、一部の例外を除いてはなかった。

同じく、人気者ではないが、幕末維新政治史上で重要な役割をはたした(準主役的な立ち位置を占めた)徳川斉昭や鍋島直正(閑叟)といった一群の封建領主と比べても、取り上げられることは格段に少ない(注目度は高くない)といえるのではなかろうか。

近年、幕末維新史研究のいっそうの進展にともない、従来、あまり世間の注目を浴びることのなかった人物にも、再評価の動きが出てきた。ごく近年の例でいえば、三条実美などがそれに該当する。

実美に対しては、政治力に乏しい優柔不断な人物で、明治政府内にあってお飾り的な存在にすぎなかったといった、随分低い評価が支配的であった。それが、ここ数年の間にあいついで出版された著作では、誠実で公正な調停者として、明治政府内においてかけがえのない存在だったとの高い評価が下されるようになってきている。

あるいは、もう少し対象者を拡げると、薩摩藩の小松帯刀や島津久光などに対する評価も、近年変わりつつある。

こうした新たな動きが生まれつつあるなか、本書の主人公である山内容堂はひとり取り残された感がある。思えば、容堂の生涯を簡潔にたどった秀れた著作である平尾道雄著『山内容堂』が出版されてから、はや60年の歳月が経過している。

しかし、その後、学界の最新の研究成果を反映した山内容堂本がつぎつぎに登場してきたかといえば、残念ながら、そうではなかったといわざるをえない。しかも、容堂の場合は、地元の土佐でもあまり関心を惹かない(人気がない)という特色がある。

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