"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。
グレゴリウス暦の1856年10月16日(旧暦では9月18日)、根尾谷断層発見など様々な業績を持つ物理学者の田中舘愛橘(たなかだて・あいきつ、1856-1952)が現在の岩手県二戸市で生まれました。
幼い頃から和漢様々な学問を修めた田中舘は、上京して慶應義塾外国語学校で英語を学び、その後東京大学の理学部へと進学しました。
東大の理学部では「ヒステリシス」の命名者アルフレッド・ユーイングや東大創設時の理学部で唯一の日本人教授であった菊池大麓(きくち・だいろく)に師事し、重力の測定や地磁気の測定に取り組みました。
田中舘愛橘はその生涯で数々の輝かしい業績を残しましたが、特に有名なのは1891年の濃尾地震の震源調査です。
この地震は岐阜県と愛知県を襲った猛烈な地震で、マグニチュードは8.0と世界でも類を見ない巨大な内陸直下型地震でした。関東大震災のマグニチュードが7.9であることを考えるとその大きさがわかります。
彼はこの地震の調査で岐阜県にある長さ35kmの根尾谷断層(ねおだにだんそう)を発見し、濃尾地震の原因として世界に発表しました。
この調査ののち、文部科学省には震災予防調査会が設立され、田中舘はこの会の委員として活動しました。
そのほかにも田中舘の業績は数え切れないほどで、日本人として初めて国際度量衡委員会の委員に就任し、日本でメートル法を推進したことや、東大在学時の1902年に東大運動会で最新式の電気計測で100m競争のタイム測定を行ったことで知られます。
余談ですが、その時の東大運動会では田中舘の計測で藤井実という人物が当時の世界記録10.24を叩き出していますが、現在では計器の不調である可能性も考えられています。また、この時の計測助手はかの寺田寅彦でした。