発売後、ますます話題の加速するニック・ランド『暗黒の啓蒙書』。まだ手に取っていない方にも、「気になるけど、哲学なんでしょ? ちょっと難しそう……」とためらわれている方にも、ダメだとわかっていても惹かれてしまう「暗黒啓蒙」の妖しい魅力と、「入口」手前で知っておきたい基礎情報をやさしく伝えます!
「暗黒啓蒙」は出口(イグジット)の夢を見る
「格差? 貧困? うーん。ここまで来たらもう、個人の努力の問題でしょ。」
「なんでオレじゃなくてアイツなの?」
「ジェンダーとかフェミとかLGBTとか、どんだけ気ぃ遣ったらOKなんだよ。」
「女だからって優遇しすぎ。むしろ逆差別だわ。」
* * *
「暗黒啓蒙」はそんな鬱屈した不満やルサンチマン(憎悪)を吸って大きくなります。
そして「やりづらさ」の原因を、啓蒙、すなわち民主主義や人権や平等やポリティカル・コレクトネスを志向するリベラルな価値観に求めて、「そんなもんやめちまおうぜ!」と煽るのです。そして「こっちに別の世界に通じる出口があるよ」とそそのかす。
そもそも「暗黒啓蒙」って何?
そもそも「暗黒啓蒙(Dark Enlightenment)」とは何のことでしょうか。
啓蒙とは「蒙を啓(ひら)く」という言葉の通り、無知を知恵の光で照らし、明るく啓かれた状態へと導くことを意味します。歴史的に言えば、中世の暗闇を理性の光で照らし、近代へ導くことを意味しました。
しかし、それに「暗黒」という修飾語が付くことで、事態は一転してパラドキシカルな様相を帯びてきます。
ダークな光で何をどうやって照らすのか? そもそも照らすことなどできるのか? そんな逆説を弄して、一体何が企まれているのか? ……
木澤佐登志さんによれば、「『暗黒啓蒙』の主眼は、近代=啓蒙というプログラムを乗り越えるオルタナティブな形の模索」とのこと(『ニック・ランドと新反動主義』)。そしてダークな啓蒙という「矛盾の只中に留まることによって、まったく新たな思考、近代というスキームを逸脱する『未知』の領野の開拓が可能になるのではないか」
――これが「暗黒啓蒙」を仕掛けたニック・ランドの企図だったというわけです。