大切なことを忘れてしまったり、ご飯を食べたばかりなのに「食べてない」と言い張ったり、何週間も入浴していないのに、「風呂はイヤだ」と言い出したり……。認知症の人は、悪気はないのにこんな言動で周囲を困らせてしまうことがあります。それはなぜなのか。そしてどうすれば落ち着いてくれるのでしょうか。
記事中の漫画・イラスト 秋田綾子
認知症とは、そもそもどんな病気なのか?
人は記憶をためる「足し算」の世界に生きています。記憶が蓄積されて「人となり」がつくられていくのです。ところが認知症になると、脳が不調になるため記憶がためられなくなり、やがて忘れていくようになります。
つまり認知症とは、忘れる病気であり、認知症の人は記憶をなくす「引き算の世界」に入ったと言ってもいいでしょう。
この「忘れること」を専門用語で「記憶障害」といいますが、認知症の記憶障害には、
- 「新しいことから忘れていく」
- (昔のことは意外と覚えている)
- 「忘れたらもう思い出せない」
- (出来事を丸ごと忘れてしまい、“なかったも同然”になる)
という特徴があります。この記憶障害が、認知症の本人と介護者のあいだのすれ違いの原因となるのです。
認知症になると「生きざま」が出る
認知症の人は、まるで過去に戻ったかのような言動をとることがありますが、これは介護現場ではよく知られたことです。
たとえば介護職なら、引退して何年もたつのに「会社に行く」と言い出す男性や、子どもが立派に独立しているのに「オムツかえなきゃ」と言う女性への対応に困った経験が、1度や2度はあるのではないでしょうか。これには、先に説明した記憶障害が関係しています。
認知症が進むと、人は新しい記憶から失っていきます。そしていわば、「昔の記憶で生きている」状態になります。だから、とっくの昔に退職していても現役の“つもり”になったり、まだ幼い子どもを育てている“つもり”になったりしてしまうのです。
私はこれを「つもり病」と呼んでいますが、わかりやすいケースをご紹介しましょう。
私が出会った認知症のお年寄りのなかに、ヨシユキさんという男性がいました。彼には変わったクセがありました。
たとえば、いつもしっかりとダブルのジャケットを着ています。夏でもそうなのです。暑い日でも脱ぎません。デイサービス(日中にケアの必要なお年寄りを預かる介護事業所)に通っていますが、デイのみんなで花見に出かけたところ、車から降りた後、なぜか背後を気にしながら歩きます。本人に理由を聞いても、「1枚着てるだけでだいぶ違うから」「あいつらは背中からくるからな」と要領を得ません。
実はヨシユキさんは、いわゆる“裏稼業“の人だったのです。もちろん本人は要介護ですから、とっくに“現役引退“しています。認知症の記憶障害のため引退したことをすっかり忘れて、まだ現役の「つもり」になっているのです。先ほどの意味不明な言葉は、
「1枚着てるだけで(刺されたり撃たれたりしても重傷度が)だいぶ違うから」
「あいつら(ヒットマン)は背中から(襲って)くるからな」
という意味でした。
ヨシユキさんの例をみると、彼の渡世人としての行動パターンや考え方が丸ごと出ているのがわかると思います。表に出るのは経歴や仕事だけでなく、生活習慣や信念、あるいはちょっとしたクセなど、さまざまです。長い人生のなかで培われたその人の性格や“こだわり”など、人となりすべてが出ると言ってもいいでしょう。
だから私は、誰かに認知症のことを説明するときは、生育歴とか職業とは言わないで、必ず「生きざま」が出ると説明することにしています。
そうした「つもり」への付き合い方や、どう言葉かけを行うとよいのかを、次ページで考えてみたいと思います。
ヨシユキさん番外編