ツール・ド・フランス1回大会の覇者が起こした「トンデモ事件簿」

何もそこまでしなくても…

復帰することなく舞台から去った

世界最高峰の自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」。毎年7月、23日間にわたって、フランス国内を中心に約3300㎞を走破するこの大会は、ヨーロッパでは五輪やW杯とともに、「三大スポーツイベント」の一つとして絶大な支持を得ている。

しかし、その人気の一方でドーピング問題に揺れてきた大会でもある。'12年、'99年から'05年まで7年連続で総合優勝を果たしたランス・アームストロングが不正薬物使用により、大会での実績を剥奪。ロードレースから永久追放されたことは、ファンに衝撃と落胆を与えた。

さらに、ロードレース界では近年、「機械ドーピング」と呼ばれる、小型のモーターなどを自転車に仕込む新しい不正も横行しており、ツール・ド・フランス運営もX線を使った検査をするなど、対策を始めている。

不正もそれを取り締まるほうも年々、高度化しているが、ツール・ド・フランスの歴史を遡ると、大会黎明期には今では考えられないような大胆な行為もあった。

1904年に開催された第2回大会でのこと。第1回大会の優勝者であるモリス・ガランが2位の選手を大きく離し、2連覇を達成したかに思えたが、大会終了後、民間人の告発により、ある疑惑が浮上する。

 

4ヵ月を要した調査の結果、ガランを含む複数の選手がレース中に自転車を抱えたまま、鉄道で移動していたという、とんでもない不正が明らかに。

審議の結果、総合1位から4位の選手が降格処分となり、5位の選手が優勝するという事態になった。ガランは2年間の出場停止処分を受け、その後も現役復帰することはなく、ガソリンスタンドの経営者として余生を送ることになる。

ちなみにこの第2回大会では完走27選手のうち、実に12選手が列車を使ったことで失格になった。第3回大会以降は選手が特定の場所を通過したか、チェックをされるようになり、現在ではコミセールと呼ばれる審判団が選手をきちんと監視するようになっている。(井)

【まめ知識】ツール・ド・フランスの雑学

●自動車のツールが元祖
 1899年から1986年まで自動車によるツールも行われていた
●ツール・ド・フランスの意味
 大会名はフランス語で「フランス一周」を意味している
●修理道具を背負って走った
 初期は自転車の故障を自分で直さないといけないルールだったため
●レース中のおしっこ
 ツールに限らないがレース中に乗車しながら放尿する選手もいる
●変速機が禁止だった理由
 変速機の開発後も「女子供が使うもの」と長らく禁止されていた

『週刊現代』2019年3月2日号より

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