何を失い、何を得るのか…老人ホームに「入れる・入る」決断を考える
早く決めねば手遅れになる家に住み続けたいという「親の願い」をとるか、子である「自分の生活」の安寧をとり、老人ホームに入ってもらうか。難題だが、決めねば手遅れになる。因果は巡り、やがて自分も「入る」時が来る。
「もう限界でしょう」
都内に住む会社員・高橋和洋氏(62歳・仮名)が異変に気づいたのは、2年前のことだった。
「同居する84歳になる父は、早朝、新聞をポストまで取りに行くのが日課でした。しかし一通り読んだ父が、またポストに新聞を取りに行っている。
友人との待ち合わせを忘れ、何時間も待った相手から電話がかかってくる。明らかにおかしいと思い、近くの病院の『もの忘れ外来』に連れて行きました」(高橋氏)
懸念したとおり、医師は、認知症と診断した。
「介護保険の申請をして、症状が進む前に施設に入れることも考えて下さい」
だが、症状は、施設に入れるほど深刻だとはとても思えなかった。そこで、とりあえずデイサービスに申し込んだのだが、通いだして2日後、施設から電話があった。父が職員を殴ったという。
「びっくりして迎えに行くと、父はまだ暴れていて、『帰る!帰る!』の一点張りでした。これが続くと、皆さんにも迷惑がかかると思い、利用を断念しました」
代わりにヘルパーを手配することにしたが――。
「妻が仕事に出かけようとすると、父の怒鳴り声が聞こえてきた。『あんたは誰だ。うちに勝手に入ってくる奴は許さん!』と言って、ヘルパーさんにつかみかかったというのです」(同)
高橋さんの母は30年前に亡くなった。その後、同居してきた父は、高橋さんの子どもが小さな頃は、保育園の送迎をして、夫婦の帰りが遅いときは、代わりに子どもに夕食を作って食べさせてくれた。
その感謝の念は強い。とても、施設に入れる踏ん切りはつかなかった。
だが、この半年、父はさらにおかしくなってきた。朝どこかに出かけて、夕方に家に戻ってくる日々。途中、仕事中の妻に電話をしては「外にいるが、お金がない。持ってきてくれ」と言うのだ。
ある日、近所の喫茶店から電話があった。
「お父様は、お財布はお持ちですが、中身は空っぽで、コーヒー代が払えないと話しています」
慌てて喫茶店にお金を払いに行き、父を連れ帰った。主治医に相談すると、こう言って、施設入りを強く勧められた。
「だいぶ症状が進んでいる。この先、万引きをしてしまうかもしれない。ご家族の様子を見ると、みなさん疲れている。もう限界でしょう」
ふと妻の顔を見ると、確かにげっそりと痩せている。ここのところ、仕事も休みがちで父の面倒を見ている。2年で5kgも痩せたという。同居する子どもの笑顔も減った。
あの優しかった父を見捨てて、老人ホームに入れるしかないのか。実際、父は「俺を老人扱いするな。身体も十分に動くじゃないか」と言うし、「俺は息子夫婦に看取ってもらえるんだから、幸せもんだな」と、近所の人に自慢していたのを、高橋さんは知っているのだ。
だが、このままでは、自分が参ってしまう。