26歳で初めて医師から告知…知られざる「アルビノ当事者」の願い

この情報不足をどうにかしたい

ずっと「アルビノ」だと知らなかった

去年、取材先で出会った人から『アルビノの話をしよう』(2017年7月発行、解放出版社)という本を教わりました。

全身のメラニン色素が生まれつき全く、または不十分にしか作れない体質を持つ「アルビノ」の人たち。皮膚や髪、瞳の色が薄いといった外見のことや、弱視、紫外線に弱い人が多いなどの抽象的な知識は、筆者にも一応ありました。

ただ、彼らが日常生活を送るうえでどんな困難があるのか、どんな支援が行なわれているのかについては、よく知りません。こうした本が出るということは、アルビノ当事者であっても十分な情報が行き渡っていない現状があるのではないかと考え、TBSラジオの番組で本を紹介することにしました。

編著者でアルビノ当事者の石井更幸さん(44)に連絡を取ると、千葉県袖ヶ浦市在住の石井さんは「どこにでも出向きます」と快諾してくれ、妻の英美さんと一緒にTBSへやってきました。

石井さんは、26歳の時に専門医の診断を受けるまで、自分がアルビノであることを知らなかったといいます。「わかっていれば、もう少し違った人生になったかもしれない。それも情報のなさからですよね」と石井さんは語り始めました。

白い髪、白い肌に水色の瞳――生まれた時は親戚一同に驚愕され、主に祖父の考えで、石井さんは白い髪や眉毛を黒く染められました。紫外線に弱いことを家族が知らなかったため、海水浴に連れて行かれて、全身やけど状態になったこともあります。

小学校にあがると、同級生から「何で肌が白いの?」と聞かれましたが、答えられません。「宇宙人」「外国人」という言葉を浴び、石をぶつけられるなど、ひどいいじめにも遭いました。

TBSを訪れたアルビノ当事者の石井更幸さん(筆者撮影)

弱視だった石井さんは、小学校2年生の時に病院で目の検査を受けました。医師は石井さんと付き添った母に、「お子さんの目は一生治りません」とあっさり言ったそうです。

石井さんは自暴自棄になり、勉強にも身が入らなくなりました。中学で柔道部に入ったことをきっかけに、ある程度自信を取り戻し、いじめられることもなくなりましたが、やはり勉強する気は起きませんでした。

中学を卒業した後は就職するつもりでしたが、母親の勧めで盲学校の高等部に進学。そこで、大きく世界が広がりました。ルーペや単眼鏡など、弱視を補助する道具の存在を知ったのです。

中学まで本をいっさい読まなかった石井さんですが、それ以降、読書が趣味になりました。しかしそれでも、自分の体の色が白いことや、弱視の原因はわかりませんでした。他の当事者に出会えなかったこともあり、「自分は長生きできないんだ」と勝手に思い込んでいたそうです。

 

専門医にアルビノと診断されたのは、今から18年ほど前、26歳のとき。

「診断されて初めて、アルビノという言葉を知りました。だからそれまでは、検索して調べることもできなかったんです」

家族にもアルビノのことを説明し、「これからは、ほんとうの自分の姿で生きていきたい」と、それまで黒く染めていた髪を染めないことにしました。

弱視の原因がアルビノであることも判明したので、眩しさを抑えることで見えやすくなることも知りました。すぐに専門の販売店に行き、まぶしさを抑える遮光眼鏡を購入したといいます。

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