2024.05.02
# 日本軍兵士 # 昭和史 # 戦争

「なぜのうのうと生きて帰ってきたのか」…戦没者慰霊祭で帰還兵の家族に向けられた「冷たい視線」と「衝撃的な一言」

「戦友会」と聞いてピンとくる人は、どれだけいるだろう? 慰霊や親睦のために作られた元将兵の集まりだが、その「お世話係」として参加し、戦場体験の聞きとりをつづけてきたビルマ戦研究者がいる。それが遠藤美幸さんだ。

家族でないから話せること、普段は見せない元兵士たちの顔がそこにある。『悼むひと 元兵士と家族をめぐるオーラル・ヒストリー』(生きのびるブックス)から、その一端をご紹介したい。世界中がキナ臭い今、戦争に翻弄された彼らの体験は何を教えてくれるのか。

『悼むひと 元兵士と家族をめぐるオーラル・ヒストリー』

本記事は、『悼むひと 元兵士と家族をめぐるオーラル・ヒストリー』(生きのびるブックス)を抜粋・再編集したものです。

 

慰霊祭で浮き彫りになった「温度差」

「『何年のお生まれですか?』って聞かれるのが嫌なのよ」

ある関西方面のビルマ戦線の慰霊祭で遺族の洋子さん(仮名)が私の耳元で囁いた。

またなんで? 最初は不思議に思った。女性に年齢を聞くなんて、という類の話ではない。戦没者慰霊祭で顔を合わせる遺族や家族は一枚岩ではない。微妙な「温度差」があるのだ。しばらくして、私も洋子さんの気まずさの理由が徐々にわかるようになった。

戦後80年近くともなれば、もう戦場体験者はほとんどが鬼籍に入っている。その子ども世代も大半が70代、80代である。洋子さんは今年で71歳。父親が戦争に行っている世代としては若い方だ。戦争が終わって7年後に生まれた洋子さん。このことは彼女の父親が戦場から生きて帰り、戦後に家族をつくったことを意味する。

当たり前だと思われるかもしれないが、ビルマ戦線のように帰還者が3人に1人という過酷な戦場では当たり前の話ではない。杖を突きながら老体を引きずるようにして戦没者慰霊祭に参列する老親、彼らに付き添う娘や息子や孫の姿はよく目にするが、洋子さんも父親が亡くなるまでは、父親に付き添って慰霊祭に家族として参列していた。

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