オタクにとって「一途」は正義か、それとも…あなたはどこまで「共感」できますか?

一途に推す人は、幸せだ。
一途に推す人は、美しい。

それは、本当?

どこか奇妙でぞくりとした手触りが残る、話題の推し活小説『コレクターズ・ハイ』『沼で溺れてみたけれど』『それでも女をやっていく』の著者であり、オタク文化にも詳しいライターのひらりささんに、その「違和感」の正体を読み解いていただきました。

「一途さ」の落とし穴

一途な人は美しい。

パートナーの死後独身を貫く人は美談になり、経営不振の企業で働き続ける人もやはり美談になる。

昨今の「推し活」ブームにかかわる人々の目線にも、同じ風潮が感じられる。ガチ恋は蔑まれるが、担降り(=応援していたアイドルなどのファンをやめること)も軽んじられる。いかに昔からその対象を推し続けていたか、どれだけの時間、金、労力をその対象に注ぎ続けてきたか。推している対象の知名度や功績だけでなく、そうした一途さが「推す人」の中で、その人の価値を上げる。

最近話題になっていた韓国のドキュメンタリー映画『成功したオタク』では、推しが性犯罪を犯してなお、「推し始めてからの日数を記録した記念日アプリを削除できない」と嘆くオタクの姿が映されていた。

推しの性犯罪という圧倒的不正義を前にしても、推しを好きになってからの軌跡を捨てられない彼女は、100%肯定的に描かれていたわけではない。しかし、オタクである監督が撮った映像には、「一途」な人を愛しく思う眼差しが多量に含まれていた。

そんな中で読んだ『コレクターズ・ハイ』には、ずいぶん驚いた。こんなにも「引いたカメラ」で推し活を描いたのは、村雲菜月が初めてなのではないだろうか? 

村雲菜月『コレクターズ・ハイ』村雲菜月『コレクターズ・ハイ』

推し活……と言っても、『コレクターズ・ハイ』の語り手・三川が推しているのは、俳優やアイドルではない。

非人間のキャラクター「なにゅなにゅ」だ。

いや、なにゅなにゅって何???

説明が全くされないわけではない。クレーンゲームの景品やカード付きウエハースが販売され、東京駅(おそらく八重洲口にある「東京キャラクターストリート」内)でポップアップショップに出店する程度に人気の癒し系キャラで、入手難易度の高いランダム商品などはSNSの「グッズ交換アカウント」で取引される。

日々なにゅなにゅの情報を追い、なにゅなにゅのために会社の半休をとり、部屋をなにゅなにゅで埋め尽くす三川。敬虔ななにゅなにゅオタクである三川だが、毎度苦戦するのが、クレーンゲームの景品ゲットだ。

それからも、なにゅなにゅビッグクッションはアームに弄ばれるように左を向いたり、右を向いたり、うつ伏せになったりを繰り返し、そのたびに私の心は搔き乱された。まるでなにゅなにゅとクレーンゲームが手を組んで私を苦しめているようにも思えた。

そこで彼女が編み出したソリューションは、ゲームセンターで知り合った男・森本になにゅなにゅの景品を取ってもらい、対価に、森本が彼女の頭を撫でるのを許すという"取引"を行うことだ。

「じゃあ、あの、頭を、撫でたりとか」
その時、私は森本さんではなく森本さんの向こう側、私たちと同じようにゲームセンターの前で誰かを待っているらしい女と目が合った。(中略)固まっていた口角を上げ直し、どちらかというと森本さんではなく、女に宣言するように口を開いた。
「なんだ、そんなことでいいんですか」

三川の行動原理は、この大推し活時代を生きる私たちにとって理解不能なものではない。まあ、あるかもね、と感情移入できてしまう。

でもそこですっと三川に同調しきれないのが、「なにゅなにゅ」の得体の知れなさだ。

ホストやアイドルに貢ぐために度を越してしまうのはわかる。でも、なにゅなにゅって……何? 理解可能なはずの推し活の対象に「なにゅなにゅ」という、ぼんやりした存在が代入されることで、読者が観察する三川の日常は、ことごとく異化されていく。ホットペッパービューティーの予約作業も、縮毛矯正の工程も、クレーンゲームで景品を取る過程も、奇妙な魚眼レンズを通して見ているかのように、気持ち悪くなる。

なんだか、平行世界にいるような居心地なのだ。なにゅなにゅに魅入られているうちに、三川自身がなにゅなにゅに侵食されて、平行世界のゴム人間になっている途中なのではないか、と思えてくる。

なにゅなにゅを身につけ、部屋がなにゅなにゅで埋め尽くされていくたびに、私はほんの少しずつなにゅなにゅみたいに丸く、柔らかくなっていくような気がする。

しかし物語の後半、なにゅなにゅが彼女にかけた魔法に綻びが生まれる。周囲の人間たちの奇妙な「一途さ」を目の当たりにし、知らぬ間にそうした「一途さ」の対象とされていた、自分自身に気づくことで。

それを理解した瞬間、さっと血の気が引いた。それらの写真には、他人のスカートを集めていたとか、靴を集めていたとか、たまにニュースで見かけるそういった事件に近いものを感じた。

三川の一途さと、彼らの一途さとの間に、線を引くことはできる。なにゅなにゅは、非実在のキャラクター。三川は、実在の人間だ。

でも、本当に? 三川がなにゅなにゅに向けている感情と、三川に向けられた感情との間に、本当に違いはあるのだろうか? 仮に違うのだとしても、三川がなにゅなにゅに夢中になればなるほど、三川は三川自身が「収集」されることに鈍感になっていたのには間違いない。三川だけではない。私たちの全員が、そういう時代を生きている。

一途に推す人は、幸せだ。
一途に推す人は、美しい。

それは、本当?

ざらざらした手触りの残る「推し活スリラー」である本作。自分は「わきまえている」と思っているタイプのオタクにこそ、読んでほしい。

村雲菜月『コレクターズ・ハイ』村雲菜月『コレクターズ・ハイ』

【特別公開】なな@赤なにゅ無限回収中 

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(つづきは本書でお楽しみください) 

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「推し」に人生を捧げること。その素晴らしい幸福の背後にある搾取の闇や、理性を失い暴走が加速していく衝撃的なラストに共感&恐怖が止まらない!衝撃の群像新人文学賞受賞第1作。 

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