2024.04.26

子供の「知的能力」は親との「日常会話」で決まる…⁉「生まれ」と「知性」の残酷すぎる関係

学歴は「生まれ」の影響を受ける

日本社会での経済的な格差はしばしば話題に上がるが、その裏で見て見ぬふりをされているのが、学歴や知的水準による格差である。

社会学者の吉川徹は無数のデータを示しながらこう書く。「大卒層と非大卒層には、就いている職種や産業……賃金において明らかな格差があります。さらに、ものの考え方や行動様式も異なり、友人関係や恋愛や結婚においても同じ学歴同士の結びつきが強く……これが、学歴分断社会という考え方の概略です」(※1)。学歴によって就職先や収入が異なることはそれほど意外ではないが、学歴によって「ものの考え方」も異なるのである。

ここで決して忘れてはならないのは、学歴は必ずしも本人の「努力」の結果ではなく、動かしようのない「生まれ」の影響をとても強く受ける点だ。やはり社会学者の苅谷剛彦は「社会的出自(social origin)が、学校における学業的なパフォーマンスに何らかの影響を及ぼしていること自体は、日本に限らず、現在では疑われることのない、実証された社会学的事実」(※2)と断言する。だから、学歴はその個人の生まれ、いわゆる社会階層の目安にもなる。

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だが、生まれによる知的な格差に目を向ける議論は少ない。建前としては、知性は、生まれた段階では平等に分配されていることになっている。

その建前はとても美しい。だがそれは、裏を返すと、知性にまつわるすべての問題が「自己責任」に帰せられることにもつながる。たとえば、もし仮に教育の不足によって陰謀論や疑似科学に流された人間がいたとしても、それは自己責任ということになってしまう。普段は自己責任論を批判する者が、知性の多寡や質の違いについては急に自己責任論者に転じるのは妙な光景である。

しかし、教育レベルや育つ環境の文化的な豊かさが「生まれ」の影響を強く受ける日本社会で、それらと無縁ではない知性だけが本人の自己責任ということはありえるだろうか?

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