【第一回:新人小説家は期待に押しつぶされ、大阪から日本最北端へと逃げ出した】
「なにもないのね、書くことが?」
私は青森の奇妙なスナックで酒を飲んでいた。
「まあ、作家さんなのね。お名前を聞いてもいいかしら?」
私は名刺を渡した。
ところでこの名刺には、大阪と東京の住所が刷られているが、いずれの部屋もすでに退居している。在庫はまだ三百枚ほどあった。
「……勉強が足りなくて、存じ上げないけれど。お若いから、デビューされたばかり?」
「ええ」
「頑張ってね。私も、本は好きだから。でも、こんな果てまで来るような仕事って……?」
「なにか創作の種が見つかればいいと思ったんです。本が出て、よかったけれど、でもまた新しいのを書かなくちゃいけないから」
「ああ、そういうこと」銀齢の淑女は微笑んだ。「ということは、なにもないのね、書くことが?」
私は告解をするような気分になった。
「二十七になるまでに作家になれなかったら死ねばいいと思った。そう思っていたら、二十七で本が出てしまった。全身全霊をつぎ込んだんです。あとのことをなにも考えていなかった。なんにもないんです。もう僕の冷蔵庫のなかは空っぽなんです」
「そう」銀齢の淑女は微笑み、やさしい声色で言った。「それじゃあ、どうしたらいいのか、いっしょに考えましょうね……」
ところで、こんな会話は、実際には起こらなかった。
実際に起きたことは、ほかの二名の銀齢の淑女の乱入である。
この淑女二名は、入ってくるなり、さんぷるのママが死んだ、と言った。
それで店の話題はいっぺんにそちらのほうに流れた。
話を聞いていると、さんぷる、というのは、おなじ第三振興街にあるスナックの名前らしい。私は彼女らの話から、さんぷるのママとはいったいどんな人生を歩んできたひとなのか、どんな店であったのか、この地域でどんな繋がりを持っていたのか、といったことを拾い上げようとした。
が、できなかった。
おそらく、彼女たちはそういう話をしていたはずである。ひとが死んだときには、みな、そのひとがどんなひとであったか、話をするものだ。
しかし、問題がひとつあった。