(本記事は、齋藤 孝氏の著書『100年後まで残したい日本人のすごい名言』=アスコム出版、2019年7月26日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

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活用なき学問は無学に等し

100年後まで残したい日本人のすごい名言,齋藤孝
(画像=fizkes/Shutterstock.com)

日本人なら誰でも一度は目にしたことのある『学問のすゝめ』。17編からなるこの啓蒙書は、17編合計で約20年間で340万部を発行したという大ベストセラーです。当時の人口を考えれば、日本人の10人に1人が読んだという驚異的な状況をつくり出しました。

『学問のすゝめ』が書かれたのは、明治初期の激動の時代です。鎖国を解かれた日本はグローバル化の波にさらされることとなりましたし、廃藩置県によって全国で200万人もの武士たちが失業していました。不安が広がる社会に、福沢諭吉は「国民一人ひとりが独立しなければならない」と説きました。

西洋文明をさかんに取り入れながらも、日本の独立を守るには、国民一人ひとりが独立した人格を持っている必要がある。ところが、国民は明治維新後も、身分制度のあった江戸時代の気分をひきずっており「お上に従うのが良い」と思っている。これでは独立していることにならない、という危機感があったのです。

一人ひとりが、「自分で世の中を変えてやろう!」というような意気込みを持つには、学問が必要なのだというのが福沢の考えです。

『学問のすゝめ』といえば、序章の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」を思い浮かべる人は多いでしょう。この有名な言葉だけを見て、福沢は平等を説いたのだと勘違いされがちですが、そうではありません。実は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」となっており、一般に言われている(言えり)と最初に示しているのです。そのあとに「実際の差は何でできるかというと学問だ」という話が続きます。

「ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」。つまり、学問をして物事をよく知る人は地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は貧しく、地位の低い人になる……とシビアな話をしています。

では、その学問とはどういうものを指しているのでしょうか。

実学です。現実に役立つ学問をせよと言っています。「論語読みの論語知らず」という言葉がありますが、知識はあっても実践することのない人を福沢は嫌いました。本を読んだり議論をしたりはしても、現実の生活にまったく役立てないのであれば意味がない。

「活用なき学問は無学に等し」とはそういう精神のことです。

数学も古文も人生に役立つ学びとなる

数学は勉強したけれども、実際の生活には役立てていないから意味がなかったと思う人がいるかもしれません。しかし、数学的な頭の働かせ方が身についたのなら、それは現実に役立っていることになります。

ビートたけしさん(北野武監督)は映画を撮るとき、因数分解を活用しているそうです。

たとえば殺し屋XがA、B、C、Dと4人を殺していくというシーンを撮るとき、一人ひとり順番に殺害場面を見せていくと間延びして美しくない。これはXA+XB+XC+XDという多項式にあたる。因数分解してX(A+B+C+D)と考えてみると、XがAを殺害したシーンのあと、ただ歩いているXを撮る。そこでXはフェードアウト。その後はB、C、Dの死体シーンを差し込めばいい。たけしさんはもともと数学がお好きで、こういう数学的な頭の働かせ方をしているのです。

私はよくy=f(x) を使って考えることをします。関数fの「変換」に注目し、その部分をたとえば「ミニ化する」とします。小さくしたことで成功しているものを挙げてみたり、「じゃあ、これも小さくしたら人気が出るのではないか」と応用したりするのです。「ボックス化する」をfとすると、カラオケボックス、プラネタリウム、バッティングセンターなどが浮かびます。数学もこんなふうに活用できるわけです。

古文にしても、「いまの生活に使えないから意味ないじゃないか」と思うかもしれませんが、古文が読めれば『源氏物語』がなんとなくでもわかるようになります。日本最高の長編小説を読める豊かさを思えば、古文を学んでよかったと思うはずです。

「これは日常生活に使わないから学ぶ必要はない」「こっちは役立ちそうだから学ぶ」と分けるのではなくて、どんな学問も人生に役立たせると考えることが大事です。

福沢の言う実学も、日常に役立つ知識だけを言っているのではなく、物事の性質を見極めたり、新たな視点を獲得したり、世界の見聞を広めるものなどを含めています。

学問はこうして活用してこそ本当に身につき、人は成長することができます。個人が成長することなしに、国の成長・成熟は見込めません。

インプットはアウトプットを前提に

学んだことを役立たせるとき、発想としては「役立たせる前提で学ぶ」、すなわちアウトプット前提でインプットするのがいいでしょう。

人に話して教えてあげるというのも立派なアウトプットです。たとえば本を読んだらその内容を家族や友人に話してみる。実際やってみると、理解のあやふやな部分はうまく話せません。質問にも答えられず、詰まってしまいます。説明するのを前提に読めば、「これはどういうことだろう?」としっかり頭を働かせるから、記憶に残ります。

私は授業の中でも、「これからお話しすることを、30分後にこの中から3人選んで要約を発表してもらいます」ということをします。すると、とたんにみんな真面目に聞きます。

30分をなんとなく過ごすのではなく、濃い時間にすることができる。濃い学びの時間を過ごすほど、成長も早くなります。

『学問のすゝめ』の中には人との交際についても書かれています。最終の17編には「交際を広く求むること」という項があります。

「旧友を忘れないだけでなく、新しい友を求めなさい」「10人に会って、その中に一人親友が見つかるのだったら、20人に会えば、それが2人になる」といったことを言い、交際のためには明るくしていないといけないよと言うのです。しっかり自分を持つためには、自分をオープンにして広く交際し、学ぶことが重要だと言うのです。

『福翁自伝』を読むとよくわかりますが、福沢はオープンでカラリとした性格の人でした。前向きで明るい、スッキリした人です。そんな福沢が明るく「活用なき学問は無学に等し」と言って、成長を促してくれている。自分の中だけに閉じずに、学んだことをどんどん活用していきましょう。

やってみせ言って聞かせてさせてみて褒めてやらねば人は動かじーー山本五十六

「やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ」は、山本五十六の有名な言葉です。

まさに現代の指導法のようですが、戦時中の、しかも海軍軍人が言った言葉だというのですから驚きですね。当時の軍隊は、言うことを聞かせるためには殴る。気合を入れるために殴る。「気をつけ! 歯を食いしばれ!」という世界です。その連合艦隊司令長官という現場のトップになった山本五十六が「褒めろ」と言っているのです。そんなギャップがこの言葉の魅力の一つになっています。

山本五十六といえば、太平洋戦争のきっかけとなった「真珠湾攻撃」の指揮をした人物として有名です。しかし、実は山本は開戦に反対でした。実際にアメリカを見て回ったことのある山本は、「長期戦になれば、資源の乏しい日本がアメリカに勝てるはずがない」と思っていました。ドイツ・イタリアとの三国同盟にも猛然と反対をし、過激派に命を狙われたこともあります。死を覚悟して書いた「この身滅ぼすべし、この志奪うべからず」という遺書が残っています。命の危険をかえりみず、あくまで反対し続けたのです。

しかし、そんな願いも虚しく、日本は開戦準備を進めます。そして、皮肉にも連合艦隊司令長官の職にあった山本が、対米戦の指揮をとることになったのでした。当時の近衛文麿首相に日米開戦になった場合の見込みを聞かれて、このように答えたと言われています。

「是非やれと言われれば、初め半年や一年は、ずいぶん暴れて御覧に入れます。しかし二年、三年となっては、全く確信は持てません。三国同盟が出来たのは致し方ないが、かくなった上は、日米戦争の回避に極力御努力を願いたいと思います」(『山本五十六』阿川弘之・著 新潮社)

冷静な分析のもと、強い信念を持っていた山本の言葉だと考えると、「やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ」はより重く受け止めるべき精神だという気がしてきます。自分の名誉どころか命さえかえりみず、国のために決死の覚悟で指揮をしていた人が、「褒めろ」と言っているのです。

怒鳴ったり殴ったりして、動いてくれるならいい。しかしそれでは萎縮して言いなりになるだけです。モチベーションは下がり、強い組織にはなりません。山本は軍での指導経験などを通じて、そのように認識していたのでしょう。

成長につながる指導法、4つのステップ

この名言を分解してみると、4つのステップから成り立っています。これは教育の現場でも仕事の場でも、人の成長を促すために大変重要な指導法です。

まずやってみせる。指導する側がやってみせる姿勢を持っているのは大事です。また、指導者の力量が試されるところでもあります。「やれ」と言うだけで教える本人ができないのでは説得力がありません。

次に言葉で説明します。どういう手順で、何に気をつけてやるのか、その理由は何かといった説明をするわけです。

そのうえで実際に本人にやらせてみます。そして最後のステップとして褒めることで、「もっと頑張ろう」という気持ちを引き出すのです。

それほど難しい流れではありませんが、実際にはどれかを省いてしまうことが多いものです。実際にどうやるか見せてもくれず、説明もないのにただやらされる。あるいは、やたらと説明するわりには、やらせてくれない。やらせてはくれたが、ノーコメント。そんなことだってよくあります。コメントしないのはやはり上司としてダメなパターンです。

上司はコメントが仕事です。コメントによって部下の仕事を修正していく。その際、ポジティブなコメントにすると勢いがつきます。「これがないのがちょっとなぁ」ではなく、「あとこれを足せば100点になるよ」と言って、褒めつつ伸ばします。褒めコメントこそが相手の成長を促すのです。

平成から令和になりました。ようやく、部下を伸ばすには褒めることだという考えが浸透してきました。さすがに、部下を罵倒したり殴ったりという人は少ないと思います。

ただ、実際に褒めることができているかどうかというと、まだまだかもしれません。私は企業でコミュニケーションセミナーをやることもあります。そのときに上司の方々に褒める練習をしてもらいますが、うまくできない人はたくさんいます。人を褒めるのも、そう簡単ではないのです。

相手も自分も成長できる「褒めは人のためならず」

教員養成をしている大学の授業の中で、褒めコメントをし続けるというのをやったことがあります。全員に紙とクレヨンを渡し、下手でも何でもいいからとにかく絵を描いてもらいます。それを一人ずつ前に出てみんなに見せます。その絵を見た全員が、褒めまくるのです。そして、褒められた人は「どの褒めコメントが一番良かったか」を発表するのがポイント。歯の浮くようなお世辞、実情に即していないコメントは選ばれません。「一番頑張ったところを気づいてもらえた」「こだわったところを褒めてもらえた」というのが嬉しいわけです。褒めるほうはちゃんと見て、具体的に言わなければなりません。

これを全員やると、最後にはみんなグッタリ疲れています。褒め疲れです。そこで私は「教師とはこういう仕事なんだよ」と言っています。

私が小学校1年生の頃、毎日絵日記を書いては先生が一言褒めコメントをつけて返してくれるというのを1年間続けていました。おかげで、私は1年生の段階でもうある程度文章が書けるようになっていました。先生が褒めてくれるから、嬉しくてどんどん書いたのです。褒められることは成長のエネルギーになります。

成長したいと願ったとき、「よし、人に褒められよう」と思う前に「自分はちゃんと人を褒めているだろうか?」と考えてみてほしい。「情けは人のためならず」と言います。

情けをかければ、めぐりめぐって自分に返ってくる。これになぞらえて言えば「褒めは人のためならず」です。全然人を褒めないのに、自分だけ褒められるわけがありません。人を褒めて成長を促してあげるほど、それが回り回って自分の成長にもなっていくはず。ポジティブなコメントがやりとりされ、みんなが成長できる社会を願っています。

少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り壮にして学べば、則ち老いて衰えず老いて学べば、則ち死して朽ちず

西郷隆盛や吉田松陰など幕末の志士たちに大きな影響を与えた、いわば先生の先生が佐藤一斎です。江戸時代に儒学を学ぶ学校の最高峰であり、江戸幕府直轄の学校だった「昌平坂学問所」の教授だった人です。有名な幕末の思想家・佐久間象山の師匠でしたから、吉田松陰は孫弟子にあたります。

佐藤一斎が後半生40年余りを費やして著した『言志四録』は、4書計全1133条におよぶ語録であり、人生指南の名著として読み継がれています。西郷隆盛が不遇のときに座右の書とし、多くの言葉を書き写していた話は「はじめに」の中で触れましたね。

その『言志四録』の中でもとりわけ有名なのが、今回取り上げている名言、「三学の教え」です。

少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず

「少年のとき学んでおけば、壮年になってそれが役に立ち、何事か為すことができる。壮年のとき学んでおけば、老年になっても気力の衰えることがない。老年になっても学んでいれば、見識も高くなり、より多く社会に貢献できるから死んでもその名の朽ちることはない」という意味で、「少・壮・老」それぞれの時期に学ぶべき意義があることを説いています。

一斎は儒学者ですから、おおもとには孔子の思想があります。『論語』の最初が「学びて時に之を習う、またよろこばしからずや」です。「学び」こそ中心なのです。

学び続けるために、ワクワク感を基準にしよう

学ぶとは人の言っていることをきちんと理解し、身につけるということです。その基本は読書でしょう。本には古今東西の偉大な人たちの知見が詰まっています。若いときも、中年になっても老年になっても、一日のうちに必ず少しは読書の時間をとることで、いつまでも朽ちずに、良い精神というものを保つことができます。何事か為すのも、頭が衰えないのもすべて学ぶことによるのに、一日のうちにまったく本を読まないとすれば、これはちょっとどうかしています。

ところが、いまや「1日の読書時間ゼロ」の大学生が半数を超えています(全国大学生活協同組合連合会「第53回学生生活実態調査」より)。学ぶのが仕事であるはずの大学生が、まったく本を読んでいない。この国はいったいどうやっていくつもりなんだと、危機感を覚えてしまいます。ネット上の文章は読んでいるのでしょうが、本を読むのとはやはり体験の質が違います。

読書は、著者と一対一で話を聞いているような濃い体験ができるものです。途中で逃げ出したくなっても、「著者の先生が一生懸命言っているのだから、もうちょっと頑張ってみよう」と耐える。「わからないから、はい次の人」「つまらないから、はい別の人」というわけにいきません。それもまた読書の醍醐味です。ちょっと頑張って読み続けると、新しい地平が開けたり、体験としてしっかり刻み込まれたりするのです。

大学の授業で、クラス全員が本を1冊ずつ選んで紹介するというのをやっていたことがあります。本の中から文章を3つセレクトして引用するとともに、おすすめポイントを発表します。毎週これをやると、週に1冊は本を読まなければなりません。それなりの負荷だったでしょうが、好評でした。30人のクラスで10回やれば、300冊分のレジュメができます。人に紹介してもらうと読みたくなり、読書の習慣が加速していったようです。

学生たちのことを見ても、みんな決して学ぶのが嫌いなわけではありません。本来みんな好きなのです。ただ、楽しさを忘れているだけです。小学生の頃は、学校で学ぶのが楽しくてワクワクしていたはずです。新しい物事に触れるというのは、本来とても面白いものです。

そして、何歳になっても学ぶのだと考えると、これから先もずっと新しいことに触れて驚いたり面白がったりしながら成長し続けることができるわけですから、生きることが楽しくなります。「もう年だから、いまさら英語なんて」とか「もうちょっと若かったらプログラミングもやってみたかった」などと言わず、やりたいと思ったら「いまが始めどき」です。

受験勉強を終えている大人の人ならとくに、好奇心やワクワク感を大事に学ぶといいのではないでしょうか。自分で選んだ楽しいものなら、勉強も苦になりませんよね。ワクワクの対象は人それぞれ、どんなことでも学びです。海外旅行が好きな人なら、旅行に行く前にその国の地理、歴史、言語を学ぶというのもいいでしょう。現地に行って学んだことが実際に活かされればさらに楽しく、勢いがつきます。

学ぶ意欲のある人は、何歳だろうと若々しく魅力的に見えるものです。年を取っても学び続けている人はいきいきとしていて若く、寿命も延びるのではないでしょうか。

100年後まで残したい日本人のすごい名言,齋藤孝
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齋藤 孝
1960年静岡生まれ。明治大学文学部教授。東京大学法学部卒。同大学院教育学研究科博士課程を経て現職。『身体感覚を取り戻す』(NHK出版)で新潮学芸賞受賞。『声に出して読みたい日本語』(毎日出版文化賞特別賞、2002年新語・流行語大賞ベスト10、草思社)がシリーズ260万部のベストセラーになり日本語ブームをつくった。

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